「何もしないと落ち着かない」不思議な動物、人間。余白と非効率さこそ大切にして過ごそう。
スマホやパソコンの普及によって、いつでもどこでも、誰かと繋がり、情報を得られるようになった。
自然豊かな場所にいてもオフィスで仕事をするように誰かと連絡を取ることができ、雨が降ろうが、風が吹こうが、気温が変わろうが、そんなことはお構いなしに目の前の画面の移り変わりや画面越しの遠くにいる人とのやりとりに気を向けられるようになった。そんな便利な世の中になったからこそ、改めて余白と非効率さを大切にしたい。
足元の環境を感じることの意味と効果
1時間前と比べて雨脚が強くなった、湿度が上がって霧が出てきた、気温が急に下がってきた、風向きが変わった。そんな「リアルな自分の周り10m」を感じることができることというのは、生物にとっては生き延びていく上で最も必要な能力のはずである。そしてそれは、自らの感覚や感情に気づく力を育むことにもつながるはずだ。
「雨がこの後も続きそうだから、ちょっと美味しいものでも食べてのんびりするか」
「湿度が低そうだから洗濯物を干して、ついでにちょっと日光浴でもしてみるか」
「雨が上がりそうだから少しだけ散歩でもしてみるか」
実は自分がやりたかったこと、生き物として心と身体の「羽を伸ばす」行為が思い浮かぶようになる。「何かしないと」と思っている限り、誰かとの予定を入れている限りは、実は自分の欲求や感覚に目を向けることはとても難しい。
自分の状況を把握する
そうした余白と非効率さを大切にし「一旦何もしない時間」「自分や自分の周りを冷静に感じ取る時間」を大切にしてみたい。まずは5分間の休憩でも良いし、できればコーヒーでも飲みながらゆっくりと。そしてできれば丸一日、一週間と…自分自身の機嫌や気分、体調が今どんな状況なのか、という点に思いを馳せられる時間を持てるように生きてみると良い。
一緒に働いている会社の人が…とか、お客さんが….というのを一旦忘れて余白を堪能してみると「自分はどうするのが心地よいのか」という感覚が芽生えてくるように思う。
「〇〇する方法」は検索できるが「どうありたいか」は自分で見つけるしかない
今や「どうやって」は簡単に探せるようになってきたし、なんなら動画や写真付きでわかりやすく解説されたものがすぐに見つけられるようになってきた。なんて素晴らしくて便利な世の中だろう。
一方で「どう生きていきたいか」「何をしたいのか」「どう生きていきたいのか」という「何を」の部分は、自分以外の誰かが答えを持っていたり正解を示してくれるものではない。
余白や非効率さを排除した先にあるのは、大量の「どうやって」という方法論だけであり「何を」という自分自身にしか導き出せないアイデンティティ、個性を自ら発見しにくくしてはいないだろうか。
今や余白は自ら意図的に作ろうとしなければ、大量の情報の渦の中で生み出すことができないようになってしまっている。この記事を読んでくださった方は、ぜひ一度スマホやパソコンを閉じて、他人の欲求を満たすことは一旦忘れて、外に出てみてほしいなと思う。
「何もしない時間」に不安に感じなくなり、自分自身がどうしたいのか、どうありたいのかを問えるようになるには、どうやら今の便利な世の中では、トレーニングが必要なのだから。
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