「ど安定捨てて島移住」してとんでもない幸せを感じた話。幸せは「気づくもの」だと改めて思ったよ
妻と一緒に、釣った魚を庭でたき火をしながら串焼きでほおばる。上を見上げれば天然のプラネタリウム。聴こえてくるのは虫の音のオーケストラ。
これを幸せといわずに他に何を幸せというんだろうか…。
— さかえる🏝田舎に仕事がないはウソ (@sakaeruman) October 13, 2018
いやぁ…控えめに言って最高ですね…。
これが日常ですから喜びもひとしおです。
数ヶ月、数年経てばこんな生活もあたりまえになって感動も覚えなくなるのでしょうが、そのときはそのとき。
いつでも心豊かに、その時々で幸せを感じるような人生を歩んでいきたいです。
— さかえる/ど安定捨てて島移住@山口県 (@sakaeruman) 2018年10月13日
月日が経つと、この純粋な感動や幸せの感覚が薄れてしまうんだろうな、という漠然とした思いがあったのであえてこの幸せな気持ちをブログに書いてみました。
感情というのは不思議なもので、後から振り返ると「なんであの時そんなことを思っていたのだろう」ということが多いのですよね。
幸せは、「感じる」ものではなく「気づくもの」
実は人からみたら羨ましい状態でも、自分がその価値に気づいていなければ幸せじゃない。逆に言うと「些細な幸せに気づける」ようになると人生もっと豊かになると思う。
— さかえる🏝田舎に仕事がないはウソ (@sakaeruman) October 13, 2018
ある意味「付き合いたてのカップル」や「田舎に行ったばかりの移住者」も似てると思う。
「幸せに気づいている」状態。
月日が経っても幸せでいられるかどうかは、「あ、これいいな」という気づきを忘れないことだと強く感じている。
— さかえる/ど安定捨てて島移住@山口県 (@sakaeruman) 2018年10月13日
「気づく」ことができるのは、なにか他のものと相対的な比較をすると簡単。
・サラリーマン VS フリーランス
・都会 VS 田舎みたいなのが分かりやすいですが「自分が優れた人間か」とか「人に対する評価」も、なんだかんだで誰かと比べることで優劣の判断がついてしまうように思える。
— さかえる/ど安定捨てて島移住@山口県 (@sakaeruman) 2018年10月13日
より自分の置かれた立場について客観的に「気づく」ためには、やはりいろんな経験をしていないとホントの意味での魅力ってなかなか気づけないのではなかろうか、と。多分ぼくも今までの人生、都会でサラリーマンをやっていたからこそ今の生活の良さに気づけているんじゃないかな〜。
— さかえる/ど安定捨てて島移住@山口県 (@sakaeruman) 2018年10月13日
というわけで、理想的な暮らしは手に入れましたが、いつでも新しい「気づき」が得られるように、どんどん新しいことに挑戦していこうと思います!
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