島という「不便な場所」にわざわざ住んでいる理由
「便利さ」というのは時代によって変わりうるものだ。山口県周防大島町の最南端にある沖家室島は、陸上交通が発達してからは「端っこの不便な島」になったけれど、海上交通が盛んだった時には元々お殿様の寄宿地だった。このように「便利さ」というのは時代に関係している。
陸上交通と、都市生活があたりまえになった今は、まあ島というのは不便なところである。しかしながら本当に「不便なのか?」というと、歴史上結構な「ターニングポイント」を生み出してる島はかなりあるのだ。海も含めて広くみてみればわかる。
「本当にこれから先も未来永劫、不便なのか?」と。
時代によって当然に「便利さ」というものは変わりうるものだ。したがって「今この瞬間便利かどうか」というポイントだけで住む場所を考えて良いものだろうか。
わしが「これから便利になると思った」理由は…
1950年以前は当たり前だった「働く人の多くが事業主だった時代(1950年以前は会社員の割合が5割未満)」に戻るとなると、①身近な先輩事業主が多い、②固定費≒土地代が今のところ安い、③原材料がたくさんある…という「事業資産の築きやすさ」という面において「これからこの島が”便利になる世の中が来る”で〜」などと思ったためである。
今のところ「便利」という言葉は「都市生活ができる」という点に使われているが、本当に30年後も同じ状況だろうか?島や過疎地の意義や意味は、ここにある。島国の未来を、かつての藩、大合併前の市町村、その最先端を行く場所である。たった 60年ほどの「特殊な時代」に思考まで合わせてはいけない。
これから先、各地域における「最先端の場所」を「”今”や”近い将来”不便で非効率だから」という理由で最低限のインフラをも維持しないという決断がなされようとしているようだ。あっしに言わせれば「その場所、もう少し長い目線で見たときに手放して大丈夫?」と思ってしまう。
オリジナリティある文化の形成は、後から金を積んでも取り返せない価値がある。そしてこれから場合により現状の行政では、実質的に「維持しない」という決断もなされていくようだ。
そんなときに勃興するのが本当の自治であり分権であり、わしらはそういったことをも見据える逞しさを持っていたい。 以前から、やれ地方分権だの自治だの言われていたが、さて本番はここからぞ、と思っている。その先陣を切り拓くのがこれからなのだ。
現在の行政区で維持が難しいとされているところにこそ、未来の「興り」が芽生えていくように思うし、それを作るのは他でもないわしらよ。 確かに、島などの過疎地を「閉じる」方が、「今の世」においては効率的かもしれない。
けれど、これから必要なのは何か、近い将来ではなく、わしらの子々孫々に希望ある世を残すことのできる「強い個人」「強い集落」が必要だと思っている。 少なくとも今便利だとされて集約されてきたものは、いずれ分散化していくと思っている。
ゆえにその基盤を最先端の場所で築くのだ。歴史や文化は、誰かが作ってくれるものではなく、他でもない個人個人が作っていくものだと思うのである。
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